*** 2004年7月2日(金)〜2日目、神様は物語がお好き ***
朝7時に起床。十代の頃は寝ている時間が惜しくて、旅先でだけは誰より早起きしたものだったが。のんびりご飯を食べて(この朝食も予想外にゴージャスだった)、10時にチェックアウト。松江しんじ湖温泉駅まで歩いて行く。前日には気づかなかったが、駅前には温泉の足湯があり、じいさんたちが多数つかっていた。駅ではタオルも貸し出しているようだ。じいさんたちは常連らしく、駅員が駅から出て来て彼らと話をしている。のどかな光景だ。
松江行きのバスを待つ間に連れと作戦会議。
「なんやねん」
イルカが発言する。例によって彼の発する言葉のニュアンスを汲み取ろうと眉間にシワ寄せるわたしに、横から神様が言った。
「ふむ。確かに、おまえさんはかなりのんびりしているようだ。もう昼だし、見どころすべてを回るのはムリだろう。イルカの言う通り、先にバスで市外にある風土記の丘を回ったらどうだ?」
神様はバイリンガルの舶来イルカと楽々コミュニケーションを取れているらしい。
100円バスで松江駅に着くと、すぐに荷物を預けて市外行きのバスに乗り風土記の丘入口へ。かんべの里工芸館でレンタサイクルを借りる。ここのお嬢さんがとても爽やかでかわいかった。
散歩道の「はにわロード」に出ようと思ったのだが、いきなり道を間違えて行き止まりにぶち当たった。そこには民家っぽいデザインの妙な建物があり、けたたましい音量でヘンな歌が流れていた。思わず立ち止まって眺めていると、中からおばさんが出てきて、アットホームなぬくぬく笑顔でいかがと誘う。かんべの里民話館に出てしまったらしかった。
「物語はおもしろいぞ。このイルカに聞いた話では、おまえさんも保育園時代にはお迎えの時間に行方不明になって周囲を大騒ぎさせておきながら平然と絵本部屋で絵本に埋もれていたそうではないか。ここはツボかもしれんな」
「なんやねん」
なぜそんな古い極秘恥話を知っているのだろう、かわいい顔して侮れないイルカだ。ともあれ神様とイルカはすっかり気が合っているらしく、そろってわたしに言った。ツボであろうとなかろうと、この状況で断れるはずもなく、わたしはおずおずと中に入った。
最初に観させられたちゃっちい3Dホログラムの『耳なし芳一』で、しまったと思ったが、その後職員の人が人造いろりの前で(ちゃんと野良コスチュームで)昔話をしてくれたのはとても面白かった。島根県ゆかりの文人ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の集めた地元の怪談のことや、ポジティヴな悲話『こぶとりじいさん』島根編などなど。こちらの時間が許せばもっと話してくれそうだったが、残念ながら辞退し、最後にスライド芝居(?)の『鼻そぎ権兵衛』を観た。どじょうすくいの安来節はひょうきんで笑えるバカっぽい(失礼)踊りだが、その元ネタ話は実にかわいそうなものだった。結果的にはお金持ちになるから、めでたしめでたしなのか? でも鼻をそがれてしまうのはなぁ……痛そうだ。
かんべの里民話館を出ると、反対方面の道を行き、はにわロードへ出た。かんべの里からすぐ近くにある国宝の神魂(みたま)神社へ行く。はにわロードは道路が埴輪っぽい素焼きの瓦色に整備されているので、わたしのような人間でも道に迷わないで済むようになっている。神魂神社から自転車をこいでこいで2キロほどか、八重垣神社へ着いた。
素戔嗚尊が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒して、そのエサにされかかっていた稲田姫とここで結婚したということから、夫婦神を祀るこの神社は結婚発祥の地とされ、縁結びのメッカになっている。素戔嗚尊は我らが大国主命の舅であるという関係からか、大国主命もここに御子神として祀られている。
壁画を観て、来た道を戻る。かんべの里近くにある風土記の丘資料館は、見始めると時間をかけてしまうだろうと思って後回しにしていたので、こちらに寄る。資料館の敷地内には古代家屋が復原展示されている。地元のお母さんとおぼしき人が子どもを遊ばせていた。こんなものをおもちゃにして育ったら、将来名のある考古学者になるかもしれない。かんべの里工芸館で自転車を返し、バスで市内に戻る。
市内に入ったときには既に4時頃だった。5時で閉まる史跡が多いので、取捨選択を迫られた。近代建築のお城にはあまり興味がない(酷)ので、松江城はまず切った。迷ったのは、松江藩歴代藩主松平氏の菩提寺・月照寺に行くか、お茶がいただけるという観月院に行くか。民話館でかきつばた怪談を聞いていたわたしは、その舞台となった橋(かきつばたの謡を口ずさみながら渡るとタタリがあるそうな)のある観月
院はちょっと怖かったので、月照寺へ。考えてみればここも墓の群れだから怖いといえば怖いが、歴代藩主で非業の死を遂げた人はいなさそうだし、まあだいじょうぶだろう。
月照寺にあるお墓の歴代藩主のうち最も有名なのは茶人の七代不昧(ふまい)公。そのお父さんは政治に打ち込むマジメな人だったそうだ。いつの時代も、親父さんがしっかり者だと、せがれは道楽者になるらしい。まあそれで茶の道の大家になったんだから良いのか。
他に面白かったのは、暴れ者の巨大ガメの石像と、ヨッパライ藩主の四代吉透(よしとお)公の廟門にきちんとひょうたんが彫ってあったところ。また、鼻をそがれた権兵衛さんの話に、鷹狩りの好きなお殿様が出てきて、それが権兵衛さんの大根をうまいとほめたところから悲劇が始まるのだが、九代斉斎(なりよし)公は実際に鷹狩りと大根の好きな藩主だったらしい。妙にリアルだ。ここでも小さな庭を眺めながらお茶をいただくことができた。
5時すぎにまだ入れそうな場所を市内で物色したところ、小泉八雲記念館があった。その隣の武家屋敷にも入れたので、あわせて見学した。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンはファーストネームをパトリックというらしい。ラフカディオとは「ラフカダっ子」の意だという。ギリシアのラフカダで生まれたからだそうだ。変わった名前だなあとずっと思っていたのでびっくりだった。
バスで松江駅に戻り、駅で少し買い物をしてから米子駅へ移動。駅前のホテルで一泊した。値段の割にゴージャスな雰囲気のホテルだったが、食糧の持ち込みは禁止。駅前でパンを買い、密輸してこっそり食べた。ゴメンナサイ。